VIDEO

教会のビデオコーナー

  1. HOME
  2. 教会ビデオ
  3. 常盤台バプテスト教会 2023.1.1 主日礼拝 主イエスの許に帰ろう⑩「人間にはできないが、神には」友納靖史牧師【マルコによる福音書 10章17~27節】(新共同訳 新約P.81~82)

礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2023.1.1 主日礼拝 主イエスの許に帰ろう⑩「人間にはできないが、神には」友納靖史牧師【マルコによる福音書 10章17~27節】(新共同訳 新約P.81~82)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                     
招詞   詩編 100篇1~5節  司式者
祈祷          司式者
賛美   新生120番「主をたたえよ 力みつる主を」1,3,4節
献金感謝                 司式者
聖書   マルコによる福音書 10章17~27節
主の晩餐の黙想をおぼえて「主をたづねもとめよ」
宣教   主イエスの許に帰ろう⑩「人間にはできないが、神には」友納靖史牧師
祈祷
賛美   「今こそ、主、求めよ」1,2,3,4節
頌栄    新生672番「ものみなたたえよ(B)」
祝祷
後奏
宣教概要
新年初日、主なる神に礼拝を奉げ、主の御言葉を心と魂に“書初め”出来る幸いを感謝します。主イエスと出会いながら、御前を通り過ぎた残念な人の代表格のように「あるお金持ち」が共観福音書全てに記されます。マタイでは「青年」、ルカでは「議員」、マルコには「ある人」と、若さも地位も財産も持ち合わせるこの人は、宗教的戒律を完璧に守る自負心の強い人物でした。彼は主イエスが旅に出ようとした時突然現れ、走り寄ってひざまずき「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」と尋ねます。すると主は彼のために計画を変えて時間を裂き、彼と時を過ごされます。そして「なぜ、わたしを『善い(完全な存在)』と言うのか。神おひとりの他に、善い者は誰もいない」と、ご自分の神性を知っているのか否か問われました。けれどもその問いに彼は答えず、彼の関心事(主イエスの触れた「十戒の第6~10,5戒」)を幼い時から完全に守っていると宣います。悲しいかな彼は自身が実は第9戒「偽証してはならない」等を偽っていると気づかない姿に、主イエスは深い慈しみの(アガパオー:愛する)眼差しを注がれ、こう問われ命じます。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」と。
今日、福音の神髄を聖霊によって示される者は、永遠の命は“人が何かをして”与えられるのでなく、『ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされる(ローマ3:24)』と知らされています。しかしこの時代(聖霊が弟子たちにも注がれていない時)、当時の宗教戒律を忠実に守ることこそが神に「義」と認められるとの信仰的誤解が人々を支配していました。ですからこの人を含め多くの人々は、財産・地位・知識、そして誇り(戒律を守った自負心)を“獲得する”ことが人生の目的となっていたのです。「わたしに従いなさい」と主イエスの弟子となる招きに彼は耳を傾けず、“悲しみながら立ち去った”のです。この様子を見て、主と対話を更に交わした弟子たちさえ「それではいったい誰が救われるだろうか…」と呟きます。すると主イエスは「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできる」と宣言されました。永遠のいのちは“人が何かをする”ことで獲得できるのでなく、“自ら(自我と能力)を捨て(委ね)、主イエスの偉大な愛と救いの招きに従う時、人には不可能と思えることさえ神の恵みによって可能となると信じます。
コロナを通され、世界中で宗教離れが加速する現実。書籍「捨てられる宗教」(宗教学者:島田裕巳著)など、宗教界に危機感と衝撃が広がっています。しかしそこにも“宗教をする人”、人間中心の議論は多く語られますが、偉大な神の存在と力には触れられていないのは残念です。救い主イエスは“人が何かをする”行為ではなく、“神が私たちに何をしてくださった”かを知り感謝する信仰に光を注がれます。更に“父なる神は、私たちを捨るお方でない”と、自らの命を捨て、死より復活され、神の栄光を現わして今も生きて働く偉大なお方です。
この出来事の直前(マル10:13-16)、主イエスに触れて頂く(愛される)ため人々が子どもたちと(何も持たず)ただ集まって来る姿を前に「…神の国はこのような者たちのものである」と、彼らの信頼(信仰)に学べと教え、祝福しました。私たちもこの日、新しき信仰の筆を取り、主の御言葉を書初めし、常に心と魂に掲げたいものです。